オープン・パズル

パズルの効能について少し考えてみた。

私の偏見かもしれないが、日本の多くの人々は奥ゆかしいというか、あまり自己主張をしない。恥ずかしがり屋なのかもしれない。

2016年イギリスに旅行したときに、スペイン国籍でギリシャに住んでいる女性と出会った。カフェで長時間おしゃべりした。彼女の旦那さんはイギリス人で、自称「日本文化の通」だ。ガーデニング系の仕事をしていて、趣味は盆栽だ。彼女がまだスペインに住んでいた頃に、近所に日本人女性が住んでいて、まれに日本から親御さんが遊びに来る。帰国の別れ際になっても、ハグしない文化は見ていてイライラすると言っていた。

謙虚と言えば聞こえがいいかもしれないが、なぜ自己主張をしないのか。少し考えてみた。「空気を読む」という話はここではしない。

私の体験では、小中学校、高校で学ぶことは、テストで必ず正解があるものがほとんどだった。

10年ほど前に平田オリザ氏の本を読んだ。北川達夫氏との共著だったかもしれない。平田氏が本の中で、北欧の国の小学校の算数の問題について紹介している。日本の場合は「3+7=」「4+6=」という設問をするのに対して、北欧では「10= + 」という設問の仕方をする。

前者(日本)は必ず正解が1つなのに対して、後者(北欧)では正解は幾通りか存在する。

小学校に限らず、何かを人に質問するときに、それを例えば、「クローズド・クエスチョン」「オープン・クエスチョン」の2種類に分類できる。前者は先述の日本型、後者が北欧型に対応する。

「クローズド・クエスチョン」は一般には「イエス/ノー」の答えを想定した質問のことだ。この場合、答えが1つとなる。それに対して、「オープン・クエスチョン」は、「あなたの好きな野菜はなんですか?」や「動物もだれかをおもしろがらせることがある?」(※『てつがくおしゃべりカード』からの引用)のように、多くの答えが考えられるし、一概に何が正解かを決めることさえ難しい。

この2つの質問形式で、どちらが、より発言をしやすいかと考えれば、後者であろう。

パズルにも同じような分類ができるのではないかと思う。ルービック・キューブ、知恵の輪、ジグソー・パズル、クロスワード・パズルには、答えが1つしかない。いわば「クローズド・パズル」だ。

それに対して、ABC-INITは多数の回答が可能だ。こちらはいわば「オープン・パズル」だ。私はそれに加えて「ケイパブル・パズル」という呼称も面白いと思う。答えに何種類あるのか分からない。答えの可能性に開かれたパズルという意味だ。

1980年頃に世界中で流行ったビデオ・ゲーム(PCゲーム)に「テトリス」がある。もとは、テトロミノという形状(正方形を4つ組み合わせてできる5種類の形)を組み合わせたパズルだ。ネーミングの「テトリス」は、「テトロミノ」と「テニス」から作った造語でソ連(当時)の人が命名した。

この元となっているテトロミノのパズルも答えが2つ以上はある「オープン・パズル」だ。

「クローズ」と「オープン」のパズルで優劣を決めることにはあまり意味がない。パズルを完成させる達成感としては、「クローズ」の方が強く感じられるかもしれない。一方、「オープン」の方は、「新しい答え見つける」という魅力がある。両者は魅力の質が違うのだ。

答えのない時代とは、「2つ以上の答えが存在する」ということだ。「新しい答えを見つける」ことが楽しいという人が増えることを願っている。

ABC-INIT & α-NINJA

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